2人産んで2人とも子宮内発育遅延だった私の妊娠出産レポ

 2017年に長男を、2019年に長女を出産。2人とも子宮内発育遅延でした。28週で発育の遅れを指摘された長男は不均衡型(Ⅱ型)の発育遅延で早産となり、14週から小さめだと言われ続けた長女は均衡型(Ⅰ型)で、出産前約1カ月間の管理入院をすることに。以下はその妊娠と出産の経過です。医師に赤ちゃんが小さめと言われて悩んでいる方の参考になればと思いメモしておきます。

 

【結論】

 2人とも何の問題もなく産まれ、元気に育っています。

 

子宮内発育遅延を伴う妊娠出産レポ―長男の場合―

長男の子宮内発育遅延が指摘されたのは28週の妊婦検診の時。頭部に対して胴体の発育が遅れる不均衡型の子宮内発育遅延でした。 

28週 1045g

30週 1266g

32週 1450g 

 赤ちゃんの胴回りが小さく体重が軽いため、急遽NSTを受けました。赤ちゃんは元気そう。でも経過観察のため以降の検診は1週間おき。極力安静にしているように言われたので、当時頂いていた在宅のお仕事も寝ながらやることに。

 

33週 1650g

 安静が功を奏したのか赤ちゃんの体重の増え方は順調。左側を下にベッドに横たわり、おやつを食べながら仕事をする。

 

34週 1906g

 赤ちゃんの体重が順調に増えているので、次の妊婦検診は2週間後でよいという判断に。一安心。

 

36週 2050g

 再び赤ちゃんの体重の増え方が鈍化。この時点では早産の兆候はありませんでした。

 

出産 2086g(36週4日)

 子宮内でのたいして大きくなれない生活に見切りをつけたかのように、急に出てくることにした赤ちゃん。陣痛の合間、助産師さんに「なんでこんなに早く生まれてきちゃうんですか??」と尋ねたところ、「なぜ陣痛が起こるのかはまだ解明されていないんです。でも大丈夫ですよ、この子はNICUに行く必要はないし、多分保育器にも入らずにお母さんと一緒に退院できますよ」と言われる。ほんまかいな、と思う。15時間半で普通分娩完了。

 

退院 2076g

 こんなに小さいのにそんな馬鹿なと思ったものの、助産師さんの言葉通りNICUどころか保育器にも入らず普通に退院。小児科の先生の話では、「小さいだけでどこも悪いところがないので入院させておく理由がない」とのこと。

 

生後11日 2275g

 産後の入院中に黄疸がでたため、フォローアップのための検診を受ける。黄疸も落ち着き異常なし。ついでに母乳支援外来へ。同室になった3700gの赤ちゃんを出産したお母さんが、「ちっちゃーい! 同級生と思えな~い☆」と言うので、「ほんとですね~! 大きくていいな~☆」という無意味な会話をしていたら、そのお母さんが帰った後、助産師さんが「この子なら3カ月もあれば追いつけますよ。大丈夫」とフォローしてくれる。なぜか泣きそうになる。ちなみに、母乳に関しては3700gの赤ちゃんより息子の方がたくさん飲めていて、助産師さんも驚いていました。

 

1ヵ月検診 3320g

小児科のお医者さんによると、「順調ですね~順調の中の順調ですね~」とのこと。

 

生後3か月 6575g

前述の助産師さんの見立て通り、成長曲線のど真ん中に到達。

 

 

子宮内発育遅延の原因―長男の場合―

不明。

胎盤が若干小さめではあったよう。この時点では医師からは次の妊娠でも小さめになるとは限らないからあまり気にしないようにと言われていました。

妊娠中の私の体重増加は7キロ。出産当時の年齢は32歳。

 

子宮内発育遅延を伴う妊娠出産レポ―長女の場合―

 2人目なので里帰り出産したかった。でもうちの田舎には小さい赤ちゃんを受け入れられる病院が無かったので、最終的には長男と同じ病院で産みました。

 妊娠後期に子宮内発育遅延を指摘された長男に対し、長女の場合初めて小さめだと言われたのはまだ14週の頃。全体的に発育の遅れがみられる均衡型の子宮内発育遅延は、不均衡型にくらべて予後が悪いことが多いとされるため、心配が尽きない妊娠生活でした。

 子宮内で赤ちゃんが死んでしまう可能性があると言われていたため、赤ちゃんに関する記録を残すこと自体が恐ろしく、長男の時のように推定体重を記録する気にもなれませんでした。

 長女を妊娠中に、私はクアトロテストと新型出生前診断(NIPT)を受けました。長男の時は出生前診断は一切受けないことにしていた私が、なぜ受けることにしたのか。出生前診断について今はどう考えているのか。書いておきたいことは山ほどありますが、今回のテーマ(子宮内発育遅延)から脱線したまま戻ってこられそうにないので細かいことは割愛。出生前診断に関する私見を書いている部分もあるのでそういうの苦手な方は読まないで下さい。

  

14週

  赤ちゃんが小さいといわれる。早くね? と思う。

 

15週

 クアトロテストを受ける。

 

17週 

 クアトロテストの結果は1/165で陽性。

 この時点ではまだ里帰り出産する気満々で、近所の個人クリニックで妊婦検診を受けていました。そのクリニックには夜間や休日の受け入れが無いため、もしものときのために提携先の大学病院を1回受診しておくように言われて行ったところ、「うん、かなり小さいですね!」ということでそのまま大学病院案件に。ここから週1で某有名大学病院に通院。

 

18週

 クアトロ検査の結果について先生に相談。先生ご自身のお子さんの場合は1/195で陽性だったけど、それ以上の検査はしなかったそう。通常は初期の胎児スクリーニングと併せて考えることが多く、1/165という結果のみから判断するのは医者でも難しいとのこと。また、どのような場合も、生まれてこなければ確かなことは誰にも分からない。

 健康な子が欲しい。健常な子1人育てるだけでも手に余るくらい大変だもの。切実そう思う。胎動を感じ始めました。

 

19週

 血液検査を受ける。看護師さんが試験管を17本持ってくる。「本当にこんなにたくさん採るのかなあ。ダブってるんじゃないかなあ。」とぼやきながら戻って行き、15本持って帰ってくる。

「先生の本気がうかがえますね!」と看護士さんは言っていたが、赤ちゃんが小さい原因は私の血液からは見つかりませんでした。

 

 20

 いつ入院になってもおかしくない、とか、20週台で赤ちゃんを出さなければならなくなる可能性が高い、とか毎回言われる。赤ちゃんの発育が停滞したり、私の血圧が上がり始めたりしたら即入院。

 このあたりから28週までバイアスピリンを服用。

 夜中にふと目が覚めた時に胎動を感じないと、不安で次に赤ちゃんが動き出すまでじっと起きている日々が続く。死産。恐ろしい言葉です。

 知恵袋とかでは埒があかない、というかまた聞きの情報と他人の意見を参考にしていい案件ではないように思います。自分で自分の立ち位置を見極めないことには心の安定を得ることはできません。睡眠時間を削って論文検索サイトで子宮内発育遅延関係の論文とか統計を読み漁り、余計に体力を削りました。

 なぜこんなに小さいの? この赤ちゃんについて少しでも正確な情報が欲しい。でもこれは私の問題であって子どもは関係ない。だから羊水検査はしない。子どもを死なせる可能性のあることは絶対にできない。

 その時やっと思いついたのです。新型出生前検査(NITP)があるじゃないかと。 

 出産予定日での年齢がぎりぎり34才なので、大学病院ではNIPTを受けられません。そこで認可外のクリニックを予約して早速受診。結果が分かるのは1週間後なのにそれだけで憑き物が落ちたみたいに心が安定しました。下らないことでストレスためてごめんね、もう大丈夫だからねーと赤ちゃんに言いながら家に帰ったのを覚えています。

 障害のある子を受け入れる覚悟ができたわけではありません。残念ながら私は、そういう人間ではありません。私は単に子どもが健常であることにマックスベットしただけなのだと思います。NIPTは自己暗示のために必要な儀式でした。論文検索もぱったり止め、多少よく眠れるようになりました。NIPTを受けた段階で賭けは成立しているため、陰性だと分かっている(と言えるくらい信じている)検査結果をわざわざ確認しにもう一度クリニックに行くのが面倒にさえ感じました。でも行けば性別を教えてもらえる。それが楽しみでした。

 

21週

 NIPTの結果は陰性。それよりも驚くべきことに、赤ちゃんは、待望の女の子だったのです!絶対男だと思ってた。

 妊婦検診でNIPTのことを報告。NIPTでわかる遺伝子疾患はごく一部であり、羊水検査をしないと分からないことは多いと言われる。それは分かってるんだけど、そもそも羊水検査をする気はないし、私はもう満足しているので問題ない。人生の大部分は自己満足で出来ているのかも。

 ちょうど遺伝子学専門の先生がいらっしゃるとのことで、お話を伺う。この大学病院は毎回診察してくれる先生が違うんだけど、情報は医師全体で共有しているらしく、うちの赤ちゃんのことも既にご存知でした。

 ・クアトロ検査が陽性

 ・NIPTが陰性

 ・赤ちゃんが変に小さい

 先生のお話では、(もちろん産まれてみないと分からないんだけど)この3つに当てはまり、かつ上の子も小さかったことを考え合わせると、赤ちゃんの側には問題がなく、子宮になんらかのストレスがあって成長を阻害している可能性が極めて高いとのこと。その影響で、子宮のホルモンを検出するクアトロ検査で引っかかったのだろうと(ざっくりまとめると)おっしゃっていました。 

 先生は関連する英語の論文を本日の担当医である若手の先生に見せようとパソコンで検索し始め、その内容について先生同士で盛り上がっているので、大学病院だなーと思いながらお礼を言って帰りました。

 無駄だったと思っていたクアトロ検査の結果が思いがけず役に立ちました。

 また今回も、「20週前半で出さなければならなくなるかもしれない」とか、「その場合重大な障害が残る可能性があるため、どの程度の救命を行うかということも今後話し合わなければならないかもしれない」とか恐ろしいことを言われたけど、私はもう平常心でした。医者は職業上考えられる可能性に言及せざるを得ないけど、私の赤ちゃんにそのようなことは起こらないだろうと何の根拠もなく確信していました。マックスベットしているのです。はたから見たら馬鹿みたいだけど、母親が状況を受け入れ、かつ前向きであるというのは大切なことだと思う。

 

22週

 この時まだ里帰り出産への希望を捨てていなかった私は、出産予定の産院に状況報告の電話をしたところ、「この週数でそんな小さいなんてこと滅多にないわよ。」と言われました。

 

23〜32週

 これだけ「小さ過ぎる」とか「死ぬかも」とか言われまくっているのに何故早々に入院する必要が無かったか。それは長女がとても元気な赤ちゃんだったからです。小さいながらも週に100グラム程度ずつ順調な発育がみられ、胎動も活発。毎回エコーで先生が感心するくらいで、30週に入ると「もしかしたらこの子は単に体が小さいだけで特に困ってないのかもしれませんね」とおっしゃる先生もいるくらいでした。

 日常生活では活発な長男を毎日追いかけまわし、午前も午後も公園巡り。当時通っていた大学病院では、安静にすると赤ちゃんに栄養がいくという科学的根拠はないので、普通に過ごしていいと言われていたのですが、後から考えると動きすぎだったように思います。土日に夫が上の子の面倒を見てくれている間は横になっていたのですが、指1本動かせないくらいの異常な倦怠感を感じていました。平日は上の子がお昼寝している間に夕飯の支度をしていたのですが、お昼寝の間だけでいいから横になれるよう、週に2回調理代行をお願いすることに。自治体のサービスで、医師が必要性を認めた場合、有償ボランティアの方の家事代行サービスを最低賃金以下の値段で使わせてもらえるというものでした。

 

33週

 里帰り出産は諦めたものの、通院中の某有名大学病院では出産費用が100万円を超えることに恐れをなして長男を出産した別の大学病院に転院することに。こちらの大学病院はNICUが併設されている産科としては良心的な値段で分娩できるのです。65万くらい。

 

34週 1500g台

  成長が鈍化。NSTも赤ちゃんの具合が悪い所見がある。妊婦検診が週2回に増える。

 

35週  1500g台

 もうこれ以上辛抱ならんという医師の判断で、管理入院決定。一回家に帰りたかったが、「ダメです」と言われる。夫に会社を早退してプリスクールに長男を迎えに行ってくれるよう電話をする。70代の義両親を夫の田舎から召喚する。

 夜テレビ電話で話しているとき長男が泣くので私も涙が出る。疲れているからか一瞬、お腹を切って赤ちゃんを出してNICUに預けて帰りたい、という暴力的な気持ちになる。なのでさっさと寝ることにする。

 

36週

 1日2回NSTをして、赤ちゃんが弱り始めたら即帝王切開することに。実際この頃はNSTをとると、お腹が張った直後に赤ちゃんの心拍が落ちることが多かったです。これは赤ちゃんが苦しい思いをしている証拠。普通の赤ちゃんは、張りがきてもぐっとこらえられるのだそう。

  一度NSTの直後に病室が騒がしくなり、何事かと思ったら車いすに乗るよう言われて、そのまま分娩室まで運ばれる事態に。もう一度NSTをとり、その結果次第で今から帝王切開をするという。

 ちょうど夫がお見舞いに来たのでおしゃべりをしながらNSTをとる。赤ちゃんの頑張りで、仮釈放となりました。

 ここで何度もNSTをとっているうちに私の中で生成されたジンクスを発表します。「悲しい気持ちでNSTをとると赤ちゃんが頑張れない。楽しい気持ちでいた方がいい結果がでる。」長女の場合は私がなんとなく悲しかったりめそめそしたりしていると心拍がよく落ちていたような気がするんですよね。だからNSTをとる時は本を読んだり動画を観たりするようにしました。

 

37週

 大方の予想に反して赤ちゃんは元気。徐々に強くなってきて、お腹の張りがきても心拍が落ちなくなってくる。上の子が早産だったから、もうそろそろ生まれるかもしれないという医師の見立てに反して、まったく出てくる気配がない。母体が安静にしているから居心地がいいのかも。陣発を待ち、分娩中に赤ちゃんの体力がもたなくなったら帝王切開に切り替えることに。一番最悪なやつやな。

 

38週6日 出産

 赤ちゃんは元気なものの羊水は若干少なくなってきているので、今週産まれなければ来週頭に誘発分娩しましょうと決まった次の日に自力で出てくることにした赤ちゃん。大方の予想に反し、2時間半(早)で正常分娩完了。38週と5日で2,252g(-2.14SD)でした。入院中の私の体重増加は700g。入院時の赤ちゃんの推定体重は1,500g台だったことを考えると、入院中の体重増加分の全てが赤ちゃんについていたということになります。入院前はいくら食べても私しか太らなかったのに。やっぱり安静にするのは大事なことなんだと思う。科学的根拠は無いそうだけど。

 

退院 2222g

長男とと同じくNICUどころか保育器にも入らず普通に5日で退院。今回も入院中に新生児黄疸が出て、光線治療を受けました。長男の時は裸にされ、目隠しをされ、青白い光線の中に横たわる小さな姿に涙がでたものですが、今回は平常心。慣れてきました。

 

生後1ヶ月 3,520g

在胎週数に対して出生時の体重・身長ともに小さめだったことから、小児科でSGA児と診断されました。発育が思わしくなければかかりつけの小児科で紹介状を書いてもらってまた受診するようにとのこと。その際に頂いた案内文を転記しておきます。

 

〇〇ちゃんの出生時の計測値は、在胎38週6日

体重 2,252g(-2.14SD 1.6%タイル)

身長 46cm(-1.41SD 7.9%タイル)

体重、身長ともに小さめで、SGA児の診断になります。SGA児の多くのお子さんが、1-2歳くらいまでにキャッチアップしていきますが、2歳までにキャッチアップしない場合、そのまま低身長が続くことが多いことがわかっています。

身長、体重ともに10%タイル未満で、かつ出生体重または身長のどちらかが-2SD未満の場合、暦年2歳までに-2SD以上にキャッチアップしなかった場合、SGA性低身長といい、成長ホルモンの適応になります。

 

1歳6ヵ月 9,495g 77.4㎝

小柄ながら身長、体重ともにしっかりキャッチアップしており、かかりつけの小児科の先生にも問題ないと言っていただいています。

天真爛漫な女の子に成長しました。両足でジャンプし、でんぐり返りをし、都合が悪いことを言われるととイビキをかいて寝たふりをします。

 

 子宮内胎児発育不全の原因―長女の場合―

 不明。

長男の時と同じく胎盤が小さめではあったよう。しかしながらそれが子宮内発育遅延の原因とは言えず、胎盤を病理検査に出しても異常は見つかりませんでした。長男の時と違って、3人目を授かるとしたら子宮内発育遅延が再発するだろうとは言われています。

上の子の時より下の子の時に方が妊娠時の経過が悪かったのは、加齢によるものだろうかと医師に尋ねたところ、それも含めて原因は不明なのだそう。でもまあ、2人産んで2人とも子宮内発育遅延で、子ども達は何の問題も無く育っているわけですから、私の体質に何か悪いところがあるんでしょうね。余談なんですけど、子宮内ではまともに育てられないくせに母乳は乳腺炎になるくらい出る謎の体質なんですよまじで。

もちろん上の子の時も下の子の時も、飲酒も喫煙も全くしていません。

この体質は娘に遺伝するのかどうか医師に聞いてみたところ、その心配は無いでしょうとのことでした。

 

まとめ

とにかく安静に。あと、全力でメンタルバランスを維持することをお勧めしたい。