英語わからないのに洋楽聴いてる奴なんなの? とか言ってる奴ちょっと来い。

 かつて日本にタイピストという職業があった頃、和文タイピストには2400文字の活字のなかから使用する文字を探し出し、一文字ずつ打ち出す職人芸が必要とされました。和文タイプライターの活字数が2400文字もあったのは、平仮名とカタカナと膨大な量の常用漢字を網羅するためです。一方英文タイプライターの文字盤は26文字のアルファベットのみ。分厚い長編小説も、複雑な法的解釈を用いた契約書も芸能ゴシップ誌も、古今東西アルファベット26文字の組み合わせだけで綴られています。

 

 この事実は日本語と英語の特性を端的に表していると言えるでしょう。つまり、日本語は視覚表現に特化した言語であり、英語は音声表現に優れた言語なのです。

 

 書き言葉の日本語には絵画的な美しさがあります。英語と比べて視覚的にゴージャスです。書道芸術が確立し、中国のそれとも異なる形で今なお進化を続けているのは、書き言葉の日本語の視覚的表現に限界が無いからだと言えます。アルファベットは数多くのおしゃれな欧文フォントを生み出しましたが、あくまでも書体の域を出ません。

 

 一方、英語の音声表現の豊かさは、基本的にたった50音で意思疎通をしている日本人を圧倒するものがあります。例えば母音だけでも大きく「単母音」と「重母音」に分けられます。さらに、単母音は「短母音」と「長母音」に分けられ、重母音は「重母音」と「三重母音」に分けられます。言ってる意味分かりますか? 書いている私にもわかりません。

 

 そういうわけで日本語の視覚表現に限界が無いのと同様、英語の音声表現には日本語には存在しない厚みがあります。ですから言語自体を音と捉え、ボーカルを楽器と見なすセンスをもつ聞き手が邦楽と洋楽を聴いたら、洋楽の方が耳に残るのは当然であり、自然なのです。