TOEIC875点ですが子どもに英語を早期教育するのが今はまだこわい

 留学せずにTOEIC875点を独学でとったことがありますが、英語は大してしゃべれません。こういう人は珍しくないと思う。

 TOEICはインプットした英語をマークシートで評価する試験。アウトプットしてなんぼの対人コミュニケーション能力を測れるわけがない。だからこそ留学経験のない私は、英語を喋れない理由をアウトプットの機会が無いからだと思っていました。逆に言えば英語を喋らざるを得ない環境に身を置けば状況は改善するだろうと。そこで1ヵ月ほどフィリピン留学したことがあるんですよね。で、思ったほど効果が無かったんです。

 理由の一つは、フィリピン留学というのは「英語を喋らざるを得ない環境」としては生ぬるいということ。私が行った学校は日本人がほとんどで、しかも学生同士でグループを作って行動しなければならず、集団行動も付き合いで食べるご飯も学生に毛が生えた年頃のノリも反吐がでるほど嫌いな私は、同じ境遇のおじさんと廊下でお酒を飲んで過ごしていました。

 そしてこちらが本題なのですが、もう一つの理由は私自身の人間性の問題。英語だろうが日本語だろうが、そもそも他人と話したいことがあまりないということ。

 よく考えたら私がコミュニケーションに情熱を感じるシーンって、(日本語であろうと英語であろうと)仕事中に限定されるんですよね。私はこの事柄を、あるいは想いを共有したい。これは決定事項であり変更はない。そのくらい強い意識と必要性がない限り、人と話したい、相手のことをもっと知りたいと思わないんです。1人で家で好きなことしてるのが大好きなんです。人間力が低すぎて英語が上達しないんです。

 フィリピン留学中に狭い個室でフィリピン人の先生と向かいあっていた時の無力感の正体は、私は出来るだけ人と話したくないし、そのことに問題を感じてさえいないという人格的かつ根本的な問題でした。先生を前に英語が出てこないだけならまだいいのですが、仮に日本語で話すとしても特段に話すことがありません。もちろん先生は色々話をふってくれるのですが、結局あたりさわりのない、日本からオンライン学習すれば良いんじゃない? という程度の英会話で毎回終わってしまいました。そこで、英語の勉強はしばらく止めることにしました。

 タイトルとは矛盾しますが、私も多くの親と同じように自分の子どもたちに英語を話せるようになってほしい。上の子が年長、下の子が年少になる2年後にはプリスクールに入れるつもりです。長くなるので割愛しますが、日本経済は今後よくはなりません。私たちの世代でさえ、これから先日本と日本円のみに拘るのはリスクが高いのに、これからの時代を生きる子どもに英語を習得させないなんて、子どもから言語能力自体を奪うようなものだと思う。

 でも言語能力が高ければ世界中どこにいっても友達が作れるんだろうか? もちろんその可能性は高まるんだけど、自分の頭で考えたことを誰かに伝えたいという情熱に言葉は関係ないと思うし、そういう根拠のない自信をもっている人は何人でも魅力的だと思う。そのための人に対する理由のない信頼感や世界が自分に対して開かれているという感覚は、人生のかなり初期において、自分以外の他の人という意味での他人を代表する存在である親との関係性において醸成されるもの。

 自分自身と世界への信頼感が欠落している人間に言語能力だけ付け足したところで本人が苦しむだけなんじゃないだろうか。

 今は日本語でたくさん子ども達と話そうと思う。自分が大切な存在でそれは当然のことだと一生を通じて信じていてほしい。そのための土台のような親になりたい。そういう確固とした土台のある人間じゃないと本当の意味での英語力は身に付かないし、世界中どこにいても生きづらさを感じると思う。

 だから我が家の英語教育においては、親への信頼感と英語への学習意欲がリンクするように働きかけたい。だからまずは私自身が、今度こそ英語を話せるようになろうと思います。フィリピンの狭い個室で時間が過ぎるのを待っていたあの時と違い、今の私には子どもと英語で話したい、一緒に海外で暮らしたいという強い必要性がある。だから今度こそ、うまくいくんじゃないかな。